5B.病歴・治療歴

 

・2009年12月から違和感を覚え始め、2010年目が開かなくなる。その時の模様を描いた漫画がこちら「眼精疲労の恐怖」
作中には描かれていないが、3週間後に目が開けられるようになるも、光過敏の症状が増枠し、動く光が見られなくなる。

・ 2011年11月に眼瞼痙攣の診断がつきボトックス投与。しかし、かえって光過敏の症状が増悪し、あっという間に白杖デビュー。3ヶ月経過後も後遺症が残る。中でも動く光の過敏性が増悪してしまったため、まもなくスクリーンリーダーデビュー。本格的な盲人生活に。

・治るならどこの科でも民間療法でも何でもいいと、精神科、心療内科、鍼灸、マッサージ、漢方等の治療法を模索する。

・2014年 盲学校受験も断られ、強烈な不眠状態に。1時眠剤を増薬。不眠が解消してきた時期に眠剤を減らしたが、今度は長引く胃腸不良から激やせ。36キロにまで体重が落ちる。この胃腸不良は、眠剤であるベンゾジアゼピン系薬物の離脱症状と思われる(心療内科医は単なる夏バテとみなしていたが)。
この薬はリボトリールといい、眼瞼痙攣の治療薬としても使われるし、私自身もその効果は感じたが、強烈なしっぺ返しを受けてしまった。その後、断薬したが今でも不眠の離脱症状が残っている。

この時点で保険診療に見切りをつけ、オーソモレキュラー療法と言うサプリメントの自費診療に手を出す。結果、3ヶ月で体重回復。

・2015年激やせから改善するも、積極的に出かけるようになったせいで目が悪化。それに伴い体調も悪化。9月には喉まで痛め、iPod touchにキーボードを接続、VoiceOverにしゃべらせるなどして対応。以後2年間はカラオケ行けず。今でも本気の声は出せないでいる。

振り返るとこの2014年と2015年の2年間が最も体調が悪かった時期。2014年は激やせで命の危機であるのに対し、2015年は苦しみながら寝込んでいたため「せめて穏やかに寝込みたい」が夢であった。

・2016年4月mixi上でジストニア漫画部を立ち上げるが、病状が悪すぎるなどでほとんど活動できず。たまに描けたとしても線だけの絵であった。

・6月9日の症状解説

・9月、少し体調が良くなってきたのでTwitterで募集していたガイドヘルパー体験に参加。多くの視覚障害者と出会う。このイベントを機に白杖での歩行訓練が受けられるようになった。

・11月、ある外国人医師に出会う。わらにもすがる思いで治療スタート。症状軽減に転じ始める。以後栄養に重きを置いた治療に専念。翌年からPDES患者会活動開始。回復に向かい始めたことでチラシ・サイト作成などが多少できるようになった。この治療に出会わなければ到底まともな活動はできなかったであろう。

・2019年5月MAF服用1ヶ月でさらに回復。同年、赤色セラピーパッド購入 。寝る前にかけるように。冷え性緩和。

・2020年フェルデンクライスメソッドに力を入れる。長年の坐骨・背中の痛みが 奇跡的に軽減。 眼瞼痙攣にも効果を感じる。

本文ここまで

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