2018年6月24日号赤旗日曜版 眼球使用困難症  視力あってもまぶしすぎて目が使えない 障害認定されず公的支援も受けられず 「眼球使用困難症」を知っていますか? 視力や視野は正常でも、強烈な痛みやまぶしさなどを感じるために目を開け続けることができない症状の総称です。日常生活が極めて不自由なのに、「視覚障害」と認められず医療や福祉制度の谷間におかれています。 日恵野香記者 埼玉県所沢市の立川くるみさん(42=仮名)は2010年に「眼瞼(がんけん)けいれん」を発症しました。 目を開けることはできますが、光が目に入った途端、目の周辺の筋肉に痛みと不快感が走り、その症状が長時間持続します。 屋外に出る時は、日傘をさし、アイマスクと溶接工専用のサングラス、サンバイザーで光を遮ります。白杖(はくじょう)が頼りです。室内では、カーテンを閉め切って生活しています。 仕事を続けられなくなり、貯金を取り崩したり、実家などから経済的援助を受けたりして暮らしています。 立川さんのような症状は「視覚障害」とは認められないために、身体障害者手帳や、障害基礎年金が受けられません。 身体障害者手帳交付の等級基準では、視覚障害は視力と視野に限られ、それ以外はどんなに視機能に支障をきたしていても対象にならないからです。 眼球使用困難症の啓発に取り組む若倉雅登医師らの後押しを受けて17年9月に患者と支援者で「眼球使用困難症と闘う友の会」を発足しました。現在90人が参加しています。 立川さんは、会の社会活動部長として、啓発活動とともに障害者手帳取得や障害年金受給を国に求めています。 活動にはパソコンの画面読み上げ機能を駆使しています。 「発症直後は、私の人生は終わりなのかな、と思いました。友の会を立ち上げて、似た境遇の仲間と交流し、励まし合いながら試行錯誤しています。今まで味わったことがないほど毎日が刺激的です」と笑顔で話します。 「友の会に入って心のつらさが和らいだ」と話すのは、黒田秀樹さん(=仮名、30代、東京都)です。 04年に異様なまぶしさを感じて医療機関を受診するも、「ドライアイ」「異常なし」と言われました。徐々に悪化し、発症から7年たった2011年に、服用していた抗不安薬の副作用による薬剤性眼瞼けいれんと診断されました。 まぶたを閉じた状態でも、光を感知すると眼痛が出たり視野が欠けたりします。 炊飯器や電子レンジなどのランプやLEDの表示板の光もまぶしく感じます。 部屋は雨戸のシャッターと遮光カーテンを閉め、一切光が入らないようにしています。 生活や身の回りのことは同居する両親に頼るしかありません。 7年近くまともに外出していません。障害と認定されないため、郵便等での不在者投票も認められませんでした。 「世の中からいないことにされている。僕たちの存在を知ってもらって、治療の研究を進め、公的な支援や福祉を受けられるようにしてほしい」 NPO法人目と心の健康相談室副理事長・眼科医の若倉雅登先生 眼球使用困難症は、目と脳の共同作業の不調によって起こります。原因は、眼瞼(がんけん)けいれんのほか、難治の眼筋型筋無力症や脳の病気による眼球運動障害があります。 なかでも最も多い「眼瞼けいれん」の患者は厚労省調査で7千人に上ります。ボトックス注射で軽減する人もいますが、まだ「特効薬」はありません。 また眼瞼けいれんの3分の1は抗不安薬などに含まれるベンゾジアゼピン系の薬の長期使用による副作用と考えられます。 外出や日常生活が困難で、社会的な交友関係も遮断され、二次的な心の不調がおこりやすくなります。二重苦、三重苦の状態に置かれています。親しい人や家族から詐病を疑われることもあります。 「障害」と認められないため公的な生活支援と経済支援が受けられません。 国は、憲法h条で定めた生存権に基づいて視覚障害の認定基準を見直し、患者の生の声を聞き、自覚症状のつらさや不自由さの程度に見合うものにするべきです。公的なセーフティーネットで守られてこそ、一歩社会に踏み出すことができます。 (了) 以上